矢野君も井上ヘッドも星野魂を継承しようとしている的な記事が上がってました。
なんでも故星野元監督が選手たちを下の名前で呼んでいたので矢野君も井上ヘッドもそれを見習って踏襲しているのだそうです。
阪神ファンの一部に不評なこの、下の名前やニックネームで呼ぶのは星野魂を継承しているのだそうです。
しかし、星野元監督が親しみを込めて下の名で呼んでいたのは、勝負への並々ならぬ執念やその目的を遂げるための厳しさ怖さカリスマ性があったからこそ生きたのではないでしょうか。厳しさの裏にある気配りや優しさが選手たちに届いたのではないかと思うのです。
矢野監督の選手の呼び方についての不評は、決して名前で呼ぶ事自体を責められているのではなく、その裏に本来見られるべき厳しさや怖さがないように感じるからだと思うのです。
さ、では分かり易いようにドラゴンボールで例えてみます…は?余計な事するな?うるさいですっ。
で、ドラゴンボールにフリーザていたじゃないですか。そのフリーザって部下に丁寧語で話すし、部下の名前なんて「ドドリアさん」とかってニックネームどころかさん付けですよ。だけども部下はみんな言う事聞いてたじゃないですか。それはフリーザが圧倒的に強いからじゃないですか。え?古くてわからん?ほっとけ。
じゃ鬼滅の刃にたとえますか?
……
鬼滅の刃がわかりませんっ!
もうおっさんなので流行りに乗り切れてませんっ。ちくわ咥えてる女の子と豚の顔した人しかわかりませんっ!
ま、いいわ。
その記事中で『矢野さんは俺に言わせれば、優しさ、情には厚いけど、スパルタにはちょっと届いてないかなっていうところがある。』と、井上ヘッドも気づいているのです。ヘッドなのだから、わかってるならそこをフォローすべきだと思うんですけどね。
まぁ勝ちゃ良いんですけど、部下は色々不幸かもしれません。
知らんけど。